RPG的精神論 第四回
 「悪の思考回路と正義の思考回路」

正義と悪の違いは、悪行を絶対の自信の下で行うか否かだ。
    ──エルティス・モーティン


第一章 「悪の思考回路」

 悪は何故に悪として存在するのか、悪役には悪役にならなければならない理由が存在したはずである。その理由は本人も気付かないことかもしれないし、本人がその理由を知らない方が幸せなこともある。そしてその理由はほとんどの場合精神と人格が形成される過渡期である幼年期時代に強く存在する物である。幼年期の生活環境が子供の成育に対して重要なファクターとなっていることは、現在においては広く知られることとなった。また幼年期と同様にその人の人となりを作るのに重要なのは思春期である。このことをRPGにおいて悪役の過去の設定にを決めるに当たって生かすには以下のことに重きを置いていただきたい。

 第一に悪に走る原因を受ける時期である。それは上で述べたように影響を受ける強度の大きい幼年期と思春期がベストである。なぜならばその時期は心に受けた傷に対して、他の何かによって肩代わりさせるという心の働きが鈍くなり、その傷がまったく同質の物でしか補えないか、どんな物でも補えないかのどちらかになってしまうからである。
 第二にその原因の種類と時期の兼ね合いである。原因の種類と時期によっては悪に走る原因になってもよさそうなのにならない場合がある、それはケースバイケースという物も多々あるが、一般的に次のようなことが言える、幼児期に受ける物に対しては、近親者の不幸においては両親・経済的不幸・両親からの虐待などが上げられ、それらは多くの場合複数が同時に起きることが知られている。その一方思春期に起きるものは権力や絶対的な力などによりその人が俗に自分の命よりも大事だという物が損じられる事に原因があり、それは一つの物によりその人の精神的許容量を超さなければならず、中規模の物が複数集まったところで、それらがそれ一つで超すことが出来なければ、それらは悪に走る原因とはなり得ないことは有名である。

 悪はその成立自体が難しい存在である。そしてその生命は太くはあれど長くなり得ない物である。と、言うわけで悪を天然記念物にする会までもが発生する始末である。しかし、近頃になって悪の共済機関が存在しているらしいことが噂されている。真偽のほどはいかに?(編注:悪を天然記念物にする会会員番号NO.46は私です。私に続く人を待っています。連絡してこないで下さい)
 

第二章 「正義と悪の攻防」

 世の中で正義ほど残酷なものはないと考えている人は、私だけではないはずです。なぜなら、宇宙が出来てからこちら数千人規模以上の虐殺は常に、それをするに十分な理由があると信じている首脳部によって行われてきたからです。そして人はそれを正義と呼ぶのでした。正義のために十字軍はイスラムの民を蹂躙し、正義のためにナチスはユダヤ人をガス処理し、正義のために広島は核の洗礼を受けました。それだけではありません、南京・カンボジア・マヤ………例を挙げれば切りがありません。昔ある偉大なる書物に次のような言葉を見つけました。

『悪は正義によって駆逐されるだろう。しかし人間よ喜ぶ莫れ。それによりて世界は混沌へと落ちていくであろう。』

 これこそが人間に渡された唯一の真理と言うわけではないと思いますが、しかしこれが虚実であるなどと誰が言えるものでしょうか(編注:否、誰でも言えます)

 ここで賢明な読者諸君は、重要な事実に愕然とするでしょう。それはだんだんと話の内容が「RPG的精神論」と言う題と関係の無いものになっていると言うことです。しかし安心して下さい私にももうどうしようもないのです。「人生なるようになる」と言うことでしょうか。ついでに言っておきましょう。RPGにおいて敵味方の両方に正義を持たせると処理が大変です。少なくとも一方はわかりやすい悪にすることをお勧めします。



本日の名言

人生なるようになる。
    ――遠い昔に一目お会いした人生の達人様


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