RPG的精神論 第五回
 「RPGをすることによる精神的作用」

強すぎる薬は、時として身を滅ぼすのだよ。君はその事が分かっているのかね。
    ──ジェームス・ロドギレス


第1部「効用」

 PRGをすることで何か良いことが起きるのだろうか? 何も思い浮かばない。こんな事ではいけない。どうにかしてページを埋めなくては・・・・・・・・・・そうだ。まずRPGをすれば、コミュニケーション技術が上がる。(本当か本当にそんなことが起きるのか?)まあ良い。これはこれとして他に何か! 何か無いのか!・・・・無い!?・・・やはりそうか無いのならば仕方が無い。あきらめるとするか。
 

第2部「副作用」

 有り過ぎる、数え切れないほどに有る。これはこれでどうしたら良いのだろう、しかしその全てを列挙してしまったらますますRPG人口が減ってしまう、かといって一つも書かなかったら怪しいそれよりも何よりもページが埋まらない。仕方が無い、辺り触りの無い所をほんの少しだけ書くことにしよう。

 まず第一に挙げられるのは、周りの人に説明するのが精神的にきつい。4〜5年前のスノボーならばこれから脚光を浴びようとしているのだから説明をする分にも張り合いが有る。しかしながらRPGのようにもう社会的には抹殺されようとしているような廃れた文明にはどのような言葉を持って説明とすれば良いのだろうか?私もこの間、いつも我々が借りている施設の事務の御方に「テーブルトークって何なんだね?」と聞かれた。最初はその上から見下したような態度に腹も立ったが、それより何より重大な危機が見渡す限りの思考区画の原野をその大軍を持って占領した事に戦慄を覚えた。私はひとまず言い負かしの技能を使って目標値55に対して1d100した、コロコロコロ・・・「55!!」何とか成功したらしい(編注:もしやこれは同値プレーヤー有利の法則!?)やはり日ごろの行いがいざと言う時助けになるらしい。この時は言い負かしの技能によって何とか事無きを得た私であるが今度は56が出るかもしれないと言う恐怖におびえる毎日を送っている、これこそが第一の副作用である。

 第二に、異性キャラをやっている自分に恐怖を覚えることだ。なんかまったくはまっていない時はもちろん、それよりも何よりもあまりにもはまった時これからの人生の道について悩んでしまう。このまま壊れていくのかそれともここでハタと気付いてまっとうな道に戻るのか(邪道も極めれば王道とも言うが・・・・)、そう言えば地元にいる友達はどうしているのだろう(編注:この間「コスプレして同人即売会で売り子をするんだー」と言う喜びの声をいただきました)。ここまで落ちぶれた私を見てどう思うだろう。否しかしここで今まで進んできた道をあきらめてしまうのにも未練が有る。いったいどうしたら良いものか。そんなこんなで今私は女キャラ率50%を守っています(編注:俺は生意気なガキ率98%だー!!≪激燃≫)。そもそも異性を演じることはRPGの存在価値の一つだと確信していますが、社会がそれを認めません。そんな姿を外から見てはやれ変態だのやれオタクだのと宣わってくれます。私から言わせれば彼らの方がおかしいですね。みんな同じ格好をしてそれを喜んでいるかと思えば、個性が欲しいなどと悔やみやがる。それならば皆と違う格好をすれば良いではないか。いくら自己矛盾が生きている証とは言えそれにもほどがあると思われます。

 第三に、・・・・・・なに!? 大体ページが埋まっているではないか、ならばこれ以上書いてRPGをけなす必要もあるまい。よし今回はこれで終わりだ!! 先週もこのページでファイナルイルミネーション却下だ!!



本日の名言

邪道も極めれば王道。
    ――庄司 卓(メオ・ニスのルージュ)
(ここに勝手に掲載させて頂いた御詫びと何年後かの冥福を祈らさせて頂きます)


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