想像力豊かな者たちへ……

さあいまは、夢みる時。
    ──ポール・ヴェルレーヌ


 RPGは想像力のゲームである、という言葉はよく耳にする。私自身もその言葉をおまじないのように唱えながら、悠久のクリスタニア(※1)の台地や、血に染まったガルゥ(※2)の宿命を思い浮かべては胸をときめかせる。そしてそのイメージの膨張に耐え切れなくなった時、「RPGがしたい」という衝動に駆られるのである。

 しかし最近RPGをやっていると、ひどく自分の想像力が欠如しているのではないかという不安に襲われることがある。しかもセッションをやっている最中に、である。ゲームマスターをしている時ですら、えもいわれぬ不安感に襲われる。まわりのプレイヤーが自分よりもはるかに想像力を蓄えているように思われるのだ。

 私と比べると、彼らは非常に想像力豊かだ。私がスキルの振り分けに四苦八苦しているのを横目に、彼らは驚くべきスピードでキャラクターシートを埋めていく。最後に名前をつける段になるとさらに顕著で、私が名前を決め終わるときには他のプレイヤーはそろそろ雑談にも飽きたころになってしまう。キャラクターシートが埋まっても、私は自分のキャラクター像が描けていないことがほとんどである。なぜこの少年は威圧を30%持っているのか? このガルゥが持つ純血3レベル(※3)はどれほどの誇りで、彼の先祖たる血族はどんな名声を得たのだろうか? 彼女はなぜ17歳の若さでこのストリートを徘徊しているのか? そして、彼の両親はどんな思いを込めて彼を「アフリ」と名づけたのだろうか? このような問いに満足に答えることができた経験は、残念ながらない。一方他のキャラクター達は生み手たるプレイヤーの自信と誇りに満ち溢れているようであり、いまにも目の前に広がる世界に向けて飛び立とうとしている。片や私の中途半端なキャラクターは足元がふらふらしており、ちょっと息を吹きかけられただけで崩れ落ちてしまうかもしれない。このような時、私は自分の想像力のなさを恥ずかしく思い、また、ゲーム開始を遅らせて迷惑をかけてしまったゲームマスター、プレイヤー、そして彼らのキャラクター達に申し訳なく思うのである。

 かくしてゲームが始まる。例えば私の好きなワーウルフ:ジ・アポカリプスのセッションだとしよう。我々は若いガルゥ同士パック(※4)を結成したばかりで名声もないが、あるとき、よく面倒を見てくれる導師である"英雄気取り"カイトから、山向こうのケルン(※5)で計画されているワーム討伐に参加してみてはどうかという助言を得た。そして山向こうのケルンについた我々が長老である"石の心"に謁見する場面である。プレイヤーの一人が口を開いた。「じゃあカクカクしかじかなんで、どうかよろしくお願いします〜とあいさつします」ストーリーテラーは答える。「ほいほい。"石の心"は2つ返事でゴーサインをだし、君達は塚守(※5)に会うようにいわれるよ」 …そしてシーンは塚守のいるケルンの一角へと移っていく。

 こんな状況で、私は改めて彼らの想像力の豊かさに気づかされる。実際にプレイヤー同士でかわされた会話は、先のふたことだけである。しかし、おそらく彼らの頭の中では若く血気盛んなガルゥたちと、静かな目をもちながらも威厳に満ちあふれた"石の心"との慎重なやり取りが展開されているのであろう。私の右隣にいるプレイヤーの操るアーローン(※6)は長老が口を開く前に高らかに名乗りをあげたのかもしれない。そして私の目の前のガリアルド(※6)はあわてて若さゆえの非礼を長老にわび、まだ不慣れな飾り立てた言葉でパックの仲間を紹介するだろう。さらに、思い出したかのように"石の心"の賢明さを褒め称える。"石の心"は憮然としたのかもしれないし、あるいは大声で笑って許したかもしれない。左隣のフィロドクス(※6)は失態をしでかさないうちに謁見を終わらせようと考えたのか、口早に用件を告げはじめた。長老は頼もしく思ってくれただろうか? はたまた若造がいきがるものではないといさめただろうか。もちろん、私のラガバッシュ(※6)もその場にいるのである。彼らの脳内で私のラガバッシュは先走ったアーローンを馬鹿にしただろうか? 我々が"石の心"に蔑んだように扱われたなら、そのことに面と向かって不平をいっただろうか?…私にはわからない。先のやり取りから私にわかったのは「あいさつが終了」し、「塚守に会わなければならない」という事実である。私のラガバッシュは、本当にそこにいたのだろうか? 他のプレイヤーは納得して、シーンを進めようと待ち構えている。どうやら脳内補完は完了したらしい。そして、みな楽しそうにゲームに関係ない雑談をしているところを見ると、先のビジョンは無事に共有されたのかもしれない。例によって私は、自らの想像力の欠如ゆえに、皆と共通の楽しみを分かち合うことができなかったようだ。

 こんなとき、必ず私は彼らのことがうらやましくなる。私にも彼らほどの想像力があれば、どんなにすばらしいことか。ワーウルフ:ジ・アポカリプスの壮大な世界観に添ってシナリオをつくることは愚か、私なら絶対に演出に困ってしまうであろう影界(※7)への旅や、ガルゥの集会の様子なども余すことなくその魅力を伝えきることが可能だろう。もちろん、他の人と知識差がでてはビジョンを共有しにくいだろうから、彼らは人知れず世界観を読み込んで勉強している、いや、想像力を鍛えているに違いない。その想像力を支えるためには人には決して話せないような秘訣もあるのだろう。どこをとってみてもうらやましいことだらけである。私がうらやむ理由はそれだけではない。この想像力は他のゲームに応用するとより真価を発揮するのではなかろうか。特に、ワールド・オブ・ダークネス(※8)や天羅万象とは違い、世界観の豊富な記述もなければ、世界観を維持するシステムもないようなゲームにおいてである。例えば、クリスタニアRPGのように表現したい世界観はあるが、それを維持する方法がほとんどないゲームに於いて、わざわざ「千と百の沼を越えて来る猛き者よ…。ここなるは守り手の手のうちぞ…」といったような凝った台詞を一晩悩んでひねり出す必要もないわけだ。マスターからのそんなアプローチなどなくとも、彼らの脳内では月たるフェネス(※9)がクリスタニアの台地を照らしているのだから…。

 さて、そんな想像力豊かな者達よ。できれば、お願いごとを聞いてもらえないだろうか。これは、あなた方に比べ想像力が著しく劣っている私のようなプレイヤーからの切実な願いである。…あなた方の共有しているシーンを、私にも垣間見せてもらえないだろうか。ひとことでいい。あなたのキャラクターの口から、何かを語ってもらえないだろうか。たったひとかけらのキャラクターの言葉でも、想像力に欠ける人間にとっては蜘蛛の糸のようなものなのだ。皆と共通の世界観を味わうにはそこにすがる他はない。

 かくして、私は今日も想像力を鍛えるべく、ワーウルフ:ジ・アポカリプスのルールブックに目を通すのである。しかし、まだまだ彼らの境地に達するには先は長いようだ。週末には、コンベンションなどでまたそんな者たちとのセッションが待っている。そこできっとまた私は、彼らとの共通の楽しみを分かち合えなかったことに悲しみ、想像力の欠如を恥じ、想像力豊かな者たちを褒め称え…ときとして嫉妬のあまり激しく憎悪するのである。


 解説

 ※1:「クリスタニア大陸」はクリスタニアRPGの舞台。海面から垂直に隆起している(た)。

 ※2:ワーウルフ:ジ・アポカリプスのPCはワーウルフ(狼人間)なのだが、彼らは自分たちを指して「ガルゥ」と呼ぶ。

 ※3:先祖に有名な英雄がいることを示すのが「純血」で、この特徴を持っているとワーウルフ社会での立場がよくなる。

 ※4:ワーウルフは普通、個人ではなく数人からなる「パック」ごとに行動する。他ゲームのパーティのようなもの。

 ※5:霊的エネルギーが湧き出す土地を「ケルン」といい、ワーウルフはケルンを中心に50人ほどからなる集落を作って生活する。ケルンの周辺を警備するのが「塚守」。

 ※6:各ワーウルフには役割が与えられる。「アーローン」は戦士、「ガリアルド」は語り部兼人間や動物たちとの交渉役、「フィロドクス」はワーウルフ間の調停者、そして「ラガバッシュ」はトリックスターをそれぞれ担う。

 ※7:ワーウルフ:ジ・アポカリプスでは我々の住む「物質界」とは別に「影界」という異世界が存在し、普通は認識できない。ワーウルフは物質界と影界を行き来できる。

 ※8:「ワールド・オブ・ダークネス」はワーウルフ:ジ・アポカリプスの背景世界。基本的には現代の地球と変わらないが、ワーウルフ、ヴァンパイアなど架空の生き物が存在する点が違う。ヴァンパイア:ザ・マスカレードやメイジ:ジ・アセンション(翻訳予定)などもワールド・オブ・ダークネスを舞台にしている。

 ※9:「フェネス」はクリスタニアの神の一柱。狼の姿をしており、月や秩序、狩人などを守護対象とする。


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